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いと、うつくし。


So beautiful. -スヤの世界一周ブログ-
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    ボスニア・ヘルセゴヴィナの過去と現在。
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      あれから20年が経った。
      ボスニア・ヘルヘゴヴィナに着いた。

      現在地:ハンガリー・ブダペスト・日本人宿「アンダンテ」NOW。
      自己最高順位世界一周ランキング3位をキープ中。
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      ボスニア・ヘルセゴヴィナ第二の都市、モスタル。

      世界遺産に登録され、ボスニア内戦後修復された橋。

      その橋までの一本道が、この町のおもな観光スポット。


      今まで訪れてきた、旧ユーゴスラビア国とは

      少し雰囲気の異なる建築物。

      レストランや土産物屋が並び、

      川や山、自然にも富んでいる。

      そこには、穏やかな空気が流れている。


      でも、この美しい姿は、

      数百メートルの一本道に作られた、限られたエリアのみ。

      モスタルの町には、他に何もない。

      「観光地」と呼ぶには程遠いような、

      殺伐とした印象。

      でも、この町の何もない感じが、

      私には返って心に響いた。


      新しいビルのすぐ横に、

      内戦で崩れた廃墟が今も残っている。

      普通の民家の、商店の、5軒に1軒くらいは、

      壁に銃痕が残っている。


      マシンガンの銃痕。

      ライフルの銃痕。

      大砲の銃痕。

      一瞬、水玉模様に見えたくらいだった。


      廃墟を探して、歩いていたわけではない。

      歩けばすぐに、町の中心に、宿の隣に、廃墟がある。


      ドブロブニクという観光地から来た私にとっては、

      頭から冷水をかけられたような気分だった。


      1992年に始まったボスニア内戦から、およそ20年。

      私は8歳のときだった。

      そのとき産まれた子供が20歳になり、

      20歳だった若者は40歳になり、

      40歳だった人は60歳になる。


      どんな風に、そのことを受け止めているんだろう。

      「忘れ去られた過去」なのか、「忘れたい過去」なのか

      それとも「今現在進行形」なのか。


      この町の景色を見て、

      なんだか無性に、気になってしまったんだ。


      Now Playing:Tenniscoats「Flower Little Honey Well」


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      |21:46| ボスニア・ヘルセゴヴィナ | comments(6) | trackbacks(0) | posted by いと、うつくし。 - -
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        |21:46| - | - | - | posted by スポンサードリンク - -
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        世界は既にジェノサイドがあったことを忘れてるだろうね。日本人は学校で近代史を殆ど勉強しないから、戦争があったことも知らないだろうしね。
        「サラエボの花」って映画が戦後をよく描いてるよ。有名な映画なので、機会があれば是非。
        posted by しょーじ | 2012/10/05 11:56 PM |
        今ここ(ネットで繋いだ向こう側)にいる私達は、写真などを見て「大変悲惨なことがあった」という状況しか理解できないんだろうな。

        その場で実物を目の前にして、初めてそのことに触れられるのかもしれない。

        戦跡もいつかは消えてしまう。
        そこにいて、感じたり考えられたりするのはすごく貴重な体験ですね。
        posted by na~ | 2012/10/06 9:18 AM |
        こんにちわ

        昨日、ちょうどBS放送でボスニアの内戦の頃のドキュメントが
        ありました。
        スヤさんの画像を見て、内戦の後をもっと身近に感じます。

        放送で印象に残った言葉「あの頃の子供たちの心の傷は、
        これからも続くんだ。」ということ。
        日本にいれば平和ボケで、実感としてなかなか掴めません。

        スヤさんは、そこの場所にいる・・だけでも、スヤさんの中で
        何かが変わると思いますよ。

        話は変わりますが、最初の方からブログ拝見しました。
        スヤさんのお気に入りのカフェ・・私がたまにランチするカフェだと知り
        びっくりです。(うちのブログに画像載せてます。10月5日)
        毎日応援ポチするからね〜

        是非帰国したら、余市へ遊びにいらして下さいな
        森の中で(山の中)癒されますよ〜
        posted by tonton | 2012/10/06 9:36 AM |
        >しょーじ

        私も最近ボスニアについて調べてたとき、
        はじめてジェノサイドという言葉を知りました。
        学校で教えてもらった記憶はないよね。


        「サラエボの花」帰国したら観てみるね。
        posted by SUYA | 2012/10/07 4:48 AM |
        >naさん

        いつも、見てくださってありがとうございます♪

        正直、もしボスニアが何事もなかったかのように
        観光地化されていたら、私は逆に虚しさを感じたかもしれません。

        あえて残しているのか、直す費用がないだけなのか。

        人々の痛みが消える日を望んでいますが、
        傷跡が残っているうちに訪れることができて
        本当によかったな、と思いました。

        posted by SUYA | 2012/10/07 4:52 AM |
        >tontonさん

        いつも、見てくださってありがとうございます♪

        私も正直、降り立った直後、銃痕を見ても半信半疑でした。
        人々は笑っているし、他の国と変らない穏やかな生活をしているし、
        もしかしたら、とっくに過去のことになっているのかなと。

        このあともう少しボスニアについて記事を書きますが、
        笑顔の奥に少し踏み入っただけで、心の傷が深いことが見えて
        戦争の傷は20年やそこらで癒えるものではないんだな、
        と痛感しました。

        カフェ同じところに行っていたなんて、奇遇ですね♪

        帰国したら余市行きたいです。
        田舎でのんびり、ゆっくりしたいです(^^)
        posted by SUYA | 2012/10/07 4:59 AM |
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